喧嘩はからっきしだけど、身体張って王を護る絳攸が書きたかった。パラレルっぽい。

「謀反!周の旗、数はおよそ三百、既に朱雀門を突破しこちらに向かっています!!」
  警備に当たっていたはずの十六衛士が飛び込んできた。
  禁軍の内、左羽林軍は遠方で実地訓練中である。残るは右軍と十六衛だが今は夜。十分な人員を警邏に割いているとはいえ、現在、宮城内にある数は日中に比べ、比較にならなかった。
  敵は決して多くはない。多くはないからこそ、気づけなかった。
「人が残っていた省庁は制圧され、人質に捕られ、兵はうまく動けません!」
  未だ執務室に残っていた劉輝は思わず立ち上がりかけたが、その前に傍らにいた腹心のひとり――李絳攸が溜め息を吐いた。
「馬鹿が。何をとち狂ったか、周家め。三百……どう見る、楸瑛」
  反対側には、もう一人の腹心、藍楸瑛がいる。
「微妙だね。腕と頭によるが、まっすぐ此処を目指してくるんじゃないかな。もしかしたら、手引きしている者がいるかもしれない」 
  思った以上に落ち着いている二人に呆気にとられながらも、劉輝は問うた。
「余は……どうしたらいい」
  そんな王に、楸瑛はにっこりと笑んで、言った。
「私は貴方のために命を捨てる覚悟はありますが……」
「楸瑛!」
「有難うございます主上。まあ勿論、逆賊風情に負けてやるつもりなどさらさらありませんが……それでも三百人に囲まれたら些かしんどいので……」
  先ほどの兵士は既に戻っている。

「とりあえず、逃げましょう」

  劉輝の寝所は勿論、この執務室にも緊急用の退避路が隠されているのは絳攸も楸瑛も知っていた。
  それは、今、劉輝の座っている椅子の下にある。毛足の長い敷物には実は切れ目が入っており、それを持ち上げると通路が現れるという仕掛けである。
  今まさにその戸が開かれ、さあ行くぞとなったとき、不意に絳攸が踵を返した。
「絳攸?」
「俺は足手まといになる。お前らだけで行け」
「なっ」
「……いいのかい?絳攸」
「時間を稼いでやるつもりだ」
「絳攸!」
  やめてくれ、という表情をした劉輝に、絳攸は不敵に笑ってみせた。
「主上に護られるなんて冗談ではないからな。……大丈夫だ。『俺は俺にできることをする』。お前の官吏を、信じろ」
  いつか聞いたことのある言葉。劉輝が一瞬硬直し、目をしばたたかせると、絳攸は優しくその肩を押して、身を翻し、
  ――後ろ手に執務室の扉を閉じた。

扉を叩く振動が、背中に伝わる。

「絳攸!開けろ!開けてくれ、お願いだっ」
「いいから、お前は早く行け――もうすぐ近衛がくるだろう」
「だが奴らはもう其処まで迫っているのだぞ!死ぬかもしれない」
「死に、たくはないな。この世の未練など山ほどある」
「だったら!」
「楸瑛!聴こえるか?」
「聴こえてるよ、絳攸」
  返ってきた返事は、思ったより低く、そして硬い。
「俺がお前を残した理由、分かるな」
「でなければこの扉を閉めたままになどしないよ」
「では、これからすることも判るな」
「ああ。主上、行きましょう――絳攸、」
  パン、と手のひらを打つような音がした。
「何だ」
「……武運を祈る」
「感謝する。行け!」
「しゅうえっ、絳攸!」
  扉の向こうで、王の叫ぶ声が遠ざかってゆく。絳攸は今まで誰かにあのような声で名を呼ばれたことなどあっただろうか、と思った。心臓を捕まれるような、思わず振り返ってしまいそうな、そんな声だった。泣いていたかも知れない。
  そして、そう取り乱す王を見たのは初めてだったと思った。
  ――かの人は、玉座を追われそうになったから、動揺しているのではない。
  それに気づいている自分が可笑しくて、思わず床にへたりこんだ。
  破璃を嵌めた窓から、南の昊が明るくぼやけているのが見える。
  もうじき、叛逆の兵たちがここまで上がってくるだろう。
  だが絳攸は、おのれの中にある幸福感に満足していたので、穏やかな気持ちでただそれを待った。

 

「……絳攸殿、其処を退いて頂けませんか」
「お断りします。生憎、国賊殿に道をあける道理など、知らないもので」
  端整な容貌に何の感情も見せず、 "そちら”を見ることもせず、絳攸は胡坐のまま言ってのけた。
  言われた壮年の男――彩雲国では中流にあたる貴族であるその男は、松明の灯りでさえわかる華美な袍に包まれた肩をぶるぶると震わせた。
  その背後には武装した兵士が数十人と並んでいる。どの近衛軍でも州府軍の格好でもないそれは、この男の私有兵であることを示していた。
「我等には、国の将来のためという大儀がある!断じて、逆賊などではない!」
「謀反人は皆そう言うがな」
「絳攸殿!あと半刻ほどでこちらには援軍も参るのです。強情を張るときではありませんぞ!」
  男の狙いは劉輝の殺害である。当然、“劉輝派”筆頭の絳攸も殺されてもおかしくはない。しかし、男はそれをしたくはないようだった。
  革命家の矜持か、絳攸の寝返りを期待しているのか、それとも、“紅家”の力か。
  何にせよ――
  絳攸は顔を上げ、一喝した。
「貴殿らは神聖なる外朝をなんと心得るのか!たかが一家の私兵が穢してよいものではない!」
  その清冽な刃を思わせる覇気に、一瞬男はたじろいだがすぐに言い返した。
「ただの私兵ではない。我が同盟者、袁邦殿がいらっしゃるのです。その数二千!」
  そこで出た名に、やはり・・・と絳攸は首を振った。彼が期待していたのは袁の名ではない。
  ――“奴”らはまだ姿を見せないか――
「それでは答えになっていないが……同盟の証拠は」
「……此処には、無いが?」
  男が言うと、この若き官吏は初めてこの男に対して、笑った。嘲笑だった。しかも、その瞳には射抜くかと思われるほどの強い光がある。
「馬鹿が。貴殿、もし主上を弑してみろ、貴殿が殺されることになるぞ」
「何だと!?」
「あまりにもひねりの無い上等手段ではないか。貴様が主上を殺す――立派な国賊だ。それを後から来た奴が捕えて倒す。
そうすれば奴は王の敵を討った英雄で、今、王に子が無い以上、奴は民にも軍にも歓迎されながら、玉座に座ることができるだろう。
所詮、お前はただの捨て駒だったようだな」
  ――まあ、まだ更に後ろに大物がいるのだろうが――
  呼称が変えられたのにも気づかず、男は蒼白になった。
「まさか…」
「考えたことがなかったか?本当に阿呆だな」
  絳攸はくつくつと男の神経を逆なでるように笑う。同性でも美しいと思う顔に明らかな侮蔑を浮かべられると、男は今度は顔面を赤黒く染めて、逆上した。
「きさま、時間稼ぎのために私を騙そうとしているのではないか!よい!どけ!!」
  唾を飛ばさんばかりに怒鳴った男に対して、絳攸は眉根を寄せた。もう笑ってはいなかった。
「救いがたい御仁だな。貴様が死のうが死ぬまいが俺には関係ないが、しかし、貴様の汚い手で王に触れさせるつもりもない」
「言っていろ!――おい、こいつを力尽くで退かせるのだ!」
  男は兵士たちを振り返る。しかし、主人と絳攸を見比べる彼らの顔には戸惑いが見て取れた。
  こんなものだ、と絳攸は思う。こんな忠誠心しかこの男は得ることができなかったのだ。
  焦れたように男が叫ぶ。
「ええい、もうここまで来てしまったのだ!今更退いても罪を問われるぞ、それが、王であっても、袁邦殿であってもだ!ならば、望みのあるほうに進めばよい!」
  ごくりと、若い兵士が唾を呑んだ。しかし、ここで絳攸が口を開く。
「王だったら、わからんぞ」
「何だと!」
  絳攸の視線は男を通り越し、兵たちに向けられている。
「お前たちは主人の命令に従っただけだ。主上は優しい方だからな、きっと御配慮があるだろう。なんだったら、俺が口を利いてやってもいい」
  その言葉に、兵たちの瞳が揺れる。
「俺も、元々は貴族の出ではない。お前たちの気持ちはよくわかるつもりだ」
  そして、国内屈指の才人と呼ばれ、その清廉さを謳われる若き官吏はこの上なく優しい表情で笑んでみせた。

 ガチャンとひとつ、兵士の手から武器が落ちると、次々と後が続いた。
  そうして彼らはその場に跪く。一番前にいた年長の男が絳攸に身柄を預けたいと申し出、絳攸は頷いた。
  今、その場に立っているのは、彼らの主だけである。
  赤かった顔が今は紫色を帯び、全身が小刻みに震えている。そして、絳攸は追い討ちをかけた。
「あ、言っておくが、貴様は駄目だぞ。主上のに刃を向けた罪、何があっても許さん。それだけの責任が貴様にはあることは、分かっているだろう」
  あくまで淡々と。しかし、限りなく不遜に。
「本当は、彼らにお前を捕えろと頼みたいところだが、さっきの今じゃ、あまりに酷だからな。軍が到着するまで待てよ」
  静蘭のやつ何してるんだ、と独りごちつつ、絳攸は勝利の余裕に浸っている。
  反対に、男は焦燥にかられていた。
  ――何故だ何故だ何故だ!軍は遠ざけた。各部署も抑えた。あと一歩で国王に辿りつく。なのに――この若造が、たった一人の文官が、我々のゆく道を阻んでいる。袁邦は至極簡単なことだと、言ったのに。民心は離れ、理は我らにあると――。
  李絳攸、貴様が!
「……そ」
  男の口から音が漏れた。絳攸が座したまま見上げる。
「死ね!」
  男は腰に佩いた剣を素早く抜くと、絳攸に向かって振り下ろした――

 ごとり、と重いものが落ちる音がした。
  飛び出すことができず、思わず目をつむった兵士たちは、恐る恐る瞼を持ち上げた。
  目に映ったのは、座ったままの官吏と、立ったままの主人。しかし――その右腕の肘から先が失われている。
  そして――彼と李絳攸のあいだに、さっきまで無かったもの――黒い塊……否、黒い装束に身を包んだ人間がそこに忽然と現れていた。

「……若君、ご無事で」
  低い男声である。
「ああ、どうせ一部始終見てたんだろうが」
  絳攸は無表情に返す。そして、びたびたと床に落ちる血を厭わしげに見た。宵闇のもとではどす黒い水溜りに見えるのがわずかな救いだが、むせ返るような臭いは如何ともし難い。
  ――片腕を失った衝撃か、単なる失血か、それとも怒りのためか。男は立ったまま気を失っている。
「李絳攸様!」
  跪いていた兵士の一人が声を上げた。先ほどの年長の男だった。
「何だ」
「手当てを…、主人の手当てをお許し下さい」
  彼の表情は固く強張っている。絳攸の命を奪おうとしたあるじを助けようとすれば、折角の恩を仇で返すことになる。しかし、それでも。
  ――この人とは、長い時を過ごしてきたのだ。
  絳攸は特に表情を変えることなく、頷いた。
「やってくれるというなら頼もう。生きていてくれたほうが都合がいいからな」
  その言葉に兵士が伏したが、一瞥しただけで絳攸は傍らの家人を呼んだ。
「滅多に仕事なんかないんだから、この血の後始末くらいしていけよ」
「……御意」
  さて、とようやく絳攸が立ち上がり、固まってしまった腰を伸ばす。男は兵士たちに介抱されている。それを横目で見ながら、やはり馬鹿な男だ――そう思ったが、しかし、自分を顧みそうになって、考えるのをやめた。
「若君。茈静蘭と右羽林軍到着しました」
  やがて黒ずくめの家人――“影”が布に覆われた顔を、聞こえないものを聞き、視えないものをみるように、わずかに上げて言った。
「遅いな。まあいい。ではあいつらが来る前に片付けとけ」
「承知」
  そうして絳攸は、それまで背にしていた扉を開け、その奥に消えたのだった。

 

 


黒幕はご想像にお任せします。
その後合流した三人とかも書いてみたいですが・・・
書きました。

影は、絳攸には致死的な危険のときにしか来てくれない設定。でもいる。

[2008.8.25 細部修正]

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