カン、カンと小気味のいい音が連なる。
此処は宮廷の中庭――と言っても数え切れないほどあるうちの、執務室に近い開けた場所だった。
其処で、彩雲国の国王とその側近である藍楸瑛が剣を交えている。
カン、カン、カン。
勝負を争うような性急さは感じられない。
それでも、彼らの表情は酷く真剣で、言葉もなく、木剣が弾き会う音だけがそこにはあった。
それは、穏やかな午後の昼下がり。
雪崩のごとく届けられる案件(それは比喩であるが、文字通りでもある)に、煮詰まった様子の主君を見て、「少し気晴らししませんか」と提案したのは楸瑛である。ぱっと表情を明るくして顔を上げた劉輝だったが、すぐにもう一人の側近を見た。
皆が仕事に追われている時、王は自分だけ何かをねだるようなことはしない。
ほんの少しだけ、気まずそうな貌をして、此方の反応を伺うだけである。もし、「駄目」と一言いえば、彼はすぐに視線を机の上に戻すのだろう。
李絳攸は、はあ、と深く息をついて「後でその分挽回してもらうからな」と言った。 ……言うしかなかった。
――そうして、今彼らは人目に着きづらい王宮の奥で剣稽古をしている。
武芸の嗜みのない絳攸は、回廊から庭院に降りる段差に腰を下ろして二人の様子を眺めていた。
藍州から帰ってきた劉輝が、酷く興奮した状態で「楸瑛は本当は強いのだ!」と言っていたのを思い出す。しかし、そう言われてもまったく実感が湧かない。思えば、絳攸は楸瑛が真剣に戦うのを、あまり見たことがなかった。
しかしそれが、二人の立場の違いだと考えれば、そういうものだと納得できる。
そんな風に、絳攸が止め処なく思考を垂れ流していると、ふと、背後に人の気配を感じた。
「宋太傅!」
「「宋太傅!?」」
劉輝と楸瑛は手を止めて、絳攸の声がした方を振り向き、彼の傍に立つ人物を確認し、叫び、そして戦慄した。
現役を引退した今も変わらず壮健であり、王国の双璧である左右羽林大将軍からも絶対の尊敬と畏怖をもって接せられる武人である。何より現国王の剣の師として、即位してからでさえ、劉輝が彼に泣かされた回数は片手では足りない。
――もし彼が「わしもまぜんかい!」などと言って入ってきたら、息抜きどころではなく、魂まで抜かれる――
そして、その可能性が非常に高いことを、楸瑛は劉輝の顔色とそこに流れるイヤな感じの汗から確信していた。
庭院の二人が木剣を握ったまま硬直しているのを横目に、絳攸は三師――ひとりが欠けた後も、朝廷では茶太保に敬意をもってこう呼ぶ――の一人に、庭院に降りて拱手しようとしたが、その前に止められた。
「構わん。――あれは暇なのか」
「い、いえ、今は少し息抜きをと、私と藍楸瑛で勧めたので」
「ほお」
絳攸もまた、緊張していた。返答次第では王の怠惰ととられてしまう。国王本人には結構暴言も吐くが、第三者に対して理由なく王を貶めることは臣下として絶対に出来なかった。
……そして、切実さを極限まできわめたような二双の「余計な事は言わないで下さい!」視線が絳攸に圧力をかける。
「おい、弟子!」
それぞれの想いを知ってか知らずか、宋太傅が劉輝を呼ぶ。
「はいぃ!!」
現国王はほぼ条件反射に、半ば声を裏返しながら返事をした。情けない、と絳攸は思ったが、顔に出ないよう耐えた。
「適当なことしてんじゃねえぞ!やるなら殺る気でいけ!」
「は、はい!」
それは、
どう突っ込んだらいいんだろう……と臣下二人がちょうど同じことを考えていると、宋太傅が絳攸に向き直り、
「……たまにはあれに好きなだけやらせてやってくれ」
ぼそりと言った。
深い皺の刻まれたその表情は素っ気無かったが、それは劉輝のことを想った言葉だった。絳攸は何故か少し嬉しくなって「宋太傅のお言葉ならしようがありません」と、微笑んで頷いた。
そして宋太傅はそのまま何処かへ去り、庭院の二人は胸をなで下ろすのだった。
ちなみに、絳攸がおのれの言葉を後悔し、劉輝と楸瑛がそれを知らずに嵐の中に巻き込まれるのは一刻(約15分)後のことである。