多くの星々に磁力があるにもかかわらず、このけだるさがぼくを地に結びつける。
別の一つのけだるさが、ぼくを自分自身へと連れ戻す。

                         ――サン=テグジュペリ 『人間の土地』

 

1.Departure


【10分前】

一時間前に旅立った地球は、すでに小指の先ほどの大きさになっていた。
あんな色の石があったなあなどとぼんやりと考えていると、待ち望んだ通信が入る。

『フィールドを展開しました。各機、現在地点の座標を確認してください』
「こちらAz-1。受信データと照合。誤差0.00001パーセント。問題なし」
『・・・・・・全機確認しました。今回、ターゲットの移動速度が速いため、すぐにドッグファイトに入る可能性があります。――ではこれより、オペレートシステムは<Vision>との並行モードに移行します。指示があるまで待機してください』
「了解」

 楸瑛は自分の部下達の機体が指示通りの位置に停泊しているのを確認してから、操舵席の両側面に書き込まれてゆく宙域図を眺めた。太陽光を遮る星もなく、機内は明るい。

 実際眼に視えるわけではないが、眼下に見える空母<彩雲>にいる絳攸がその宙域に仮想フィールドを展開しているはずだ。
  彼の手足とも言える斥候部隊の集める情報や、レーダーの反応信号によって味方船団、敵、小惑星帯の位置などを独自の解釈でマッピングし、常時三次元での監視を可能にしている。
  とはいえ、宙域図を描くことならばどんな航行用コンピュータにもできる。だが彼がそれらと一線を画したのは、複数の無人戦闘機の同時運用だった。常時戦況を把握しながら、主に有人機の後方からの支援活動をさせる。
  パイロットの個人センスが重要視される白兵戦においては、咄嗟の判断力、経験知、そして、運が生き残る術になってくる。しかし、普通のコンピュータではイレギュラーな事象に対応することが難しい。それを可能にしたのが、絳攸の<Vision>だった。

 現在、楸瑛の位置からでは『妖』は確認できない。計器類も今は沈黙している。
  静寂の中、楸瑛はそっと、目を閉じた。

 

【2年と2ヵ月前】

「ヴィジョン?」
「ああ。実際に視覚でレーダーを見るんじゃなくて、各機のレーダーの情報を直接的に電気信号で俺の脳に送る。そこから、また解析情報を返送したり、無人機でのサポートをする。最上位の判断機構が俺の意識下に置かれるからAI制御での無人飛行より、対パイロットとの行動に齟齬が生じにくくなると――」
「それはどうかな。君もなかなかの堅物だと思うけど」
「うるさい!聞けッ」
  絳攸がテーブルを拳で叩く。アイスコーヒーに浮かべられた氷がからりと鳴った。
  国際宇宙開発研究所のドックのひとつにあるレストルーム。地上に居るときは楸瑛は大体この周辺にいた。自身のトレーニングもあったし、暇さえあれば愛機の傍にいて、それが整備されてゆく様子を見守っている。
  向かいに座っているのは、李絳攸。大学の理工科を飛び級で卒業した楸瑛の同期。現在はシステム開発部の若きチーフとして精力的に研究を進めている。
「はいはい。ってことは、君がオペレーションやサポートしてくれるってこと?」
「そう思っていい。だが、臨戦中は情報処理に専念するから、新しいオペレーションシステムが機能する、ぐらいに考えたほうがいいが」
「大丈夫なの、それ」
「それを確かめるために明日はお前の部隊に協力してもらうんだろう。安心しろ、<スミレ>とのネットワーク構築テストは問題なく終了している」
  <スミレ>とは第一等空母<彩雲>に搭載されているスーパーコンピュータの愛称である。
「<スミレ>ちゃんとかじゃなくて、きみが、大丈夫かって訊いてるんだよ」
「・・・・・・確かに、俺は生身の人間だ。疲れる。――だから実戦での投入は終盤になってから、白兵戦用だ。それにプログラムの監視には黎深様がついて下さる。滅多なことはないだろう。有難いことだが」
  楸瑛は息を吐いた。――あの黎深が傍にいるのなら。
「・・・・・・でも、正直に言う、あまり期待しないでくれ」
「え」
「イメージとしては、俺が戦況を離れた所から見て、駒を動かしてゆくという感じになる。箱庭を上から眺めるような。これが、俺の<Vision>。――だからこそ、一度に複数の機体を操作することが出来るが、どこまで各パイロットの要求に応えられるかはまだ分からない。特に臨機応変な行動を求められる場合には」
  いつも自信満々な絳攸が、こういう言い方をするのは珍しい。
  思わず、楸瑛は怪訝な表情になった。
「それって」
「ああ。まるで成果が出なかったらこの計画は失敗だな。最初から最後まで<スミレ>と、経験豊かなオペレータ達に任せたほうが余程信頼できる」
「きみ、それは・・・」
  あまりにあっさりと言い放った友人に、楸瑛は唖然とする。だが、絳攸はそれとは対照的ににやりと笑ってみせた。
「現在見込める最大の利益は、オペレーターを介した情報とパイロットとのやりとりにおけるタイムラグをゼロに近づけられること。だが、それとは別にひとつ試してみたいこともある。それが成功すれば、今までの努力が報われると思う。俺のだけかも知れんがな」
  そして立ち上がり、楸瑛に向かって右手を伸ばす。
「だから、明日はよろしく頼む。藍大尉どの」

そして――

 絳攸の作り出した新しいプログラムの模擬試験は、関係者の予想を遥かに上回る好成績を残し、<Vision>プロジェクトは実装に向けて順調に動き出した。

 

【2年と1ヵ月前】

「昇進する」
  黄金色のフライドポテトをつまみながら、抑揚のない声で絳攸が言った。
  いつものレストルーム。相手もいつも通り楸瑛だ。規定就業時間1時間前という何とも半端な時間ゆえか、自分たちの他にはほとんど人の姿はない。遠くカウンターで、給仕係がぼんやりと立っているのが見えるくらいである。
「おめでとう。今度は室長かな?」
「違う。“少佐”だ」
  楸瑛は思わず目を見開いた。
「……へえ、それはまた大昇進だ。……おめでとう?」
  絳攸はじとりと目の前の男をねめつける。
「疑問系か。べつにいいが。俺も嬉しくないし」
「いやでも、手の届かないお方になってしまったね」
  フン、と鼻を鳴らす。
「……辞令はまだだ。それに、少佐の地位など普段の俺には関係ない」

 彼らの所属する宇宙開発研究所は、元々、宇宙空間における資源開発を目的とした武力を持たない科学研究機関だった。
  しかし、人類が宇宙を飛び出して百年を迎えようとしていた十二年前、それまで存在を確認されていなかった謎の地球外生命体が木星付近の小惑星帯で彼らの宇宙船を襲撃した。
  その事実が、宇宙開発への気運にさらに拍車をかけることになったのだが、それはまた別の話である。
  兎にも角にも、彼らは研究のために武力を持たなければならなくなった。そして10年前に研究所内において警衛部門が新設され、宇宙域での戦闘行為に特化した私設軍団が出来上がった。
  彼らはあくまで研究所に属し、研究所員の身の安全のために存在する。
  しかし、それに費やされる予算もスペースも人員も、そして頭脳も甚大なものになった。そして所内での軍事力が大きくなっていくことを懸念する声が高まるのは、人類の希望を担うという自負を持つ人々にとっては当然のことであった。
  それゆえに研究所内では、すべての人間に対し新たにそれまでの役職の他に、楸瑛の大尉や絳攸の少佐のような階級が附けられることになる。
  そして、あらゆる開発チームから宇宙を航行する船団まで、その中で必ず最高の階級を持つのがインテレクチュアル系――研究者であることが規則として定められ、その権利を行使することが多くの研究所員の誇りとなっているのが現状だ。
  <Vision>をより有効に使用するためには、一船団に命令を下せるほどの指揮権をもたなければならない。現在、絳攸以外に使いこなせる者がいないため、彼の階級昇進は必要に迫られてというところだろう。

 絳攸は奇妙な気持ちで対面の楸瑛を見た。襟のないシャツに支給のジャンパーを羽織っている。絳攸にすればいい加減極まりない格好だが、ここでは雰囲気によく馴染んでいた。逆に、ワイシャツにタイ、そしてまっさらな白衣を着こんだ自分の方が浮いている。
  楸瑛は警衛部所属の遊撃部隊のパイロットで、その一翼の隊長を務めていた。
  しかし、元々は絳攸の“同僚”だった。
  ある日突然に転属願を出して周囲を驚かせたのを思い出す。勿論、絳攸だってその中の一人だった。彼は研究者としても抜きんでた能力を持っていて、心の内では良い意味で好敵手だと思っていた。
  しかし惜しむ声もなんのその。彼はあっけなくラボラトリから去った。
  そして――絳攸にしてまことに面白くないのだが――パイロットとしても、彼は遺憾なく才能を発揮し、現在は一隊を率いるほどになっている。
『だってこっちのほうが面白そうだったんだもの』
  そう言う楸瑛を何度と殴ろうかと思ったかわからない。
  だが――
(俺はこいつが飛ぶ姿を見るのが嫌いじゃない)
  全長20メートル余りの、薄藍に塗られた機体――<Azure>が宙を翔るのを、何度も絳攸は記録映像で、そして<彩雲>から肉眼で見ている。
  いまレストルームに張り巡らされた窓の向こうで沈黙を守っているそれは、臨戦時には誰よりも速く標的に近づき、その触手や牙をかわし、撃ち抜き、離脱する。
  恒星の光を反射しながら旋回するその姿は、それこそが、攻撃的で、敏速で、そして何より優美な生き物であるように思われた。
(宇宙こそ、お前の生き場所ではないのか)
  心のどこかでは気づいていた。
――何よりも縛られることが嫌いだったお前。
――そして、いつも何かから逃げていたお前。

(そして俺は……)
 
  その翼に、夢を見る。

 

【8分前】

 ポーン――と穏やかな着信音がして、楸瑛は目を開いた。視線を上げると、通信用のモニターの一つに文字が浮かび上がっている。

『Hello こちら<Vision>。調子はどうですか?』

 <Vision>を通した絳攸からの挨拶。もっとも普段の彼はこんな言葉は使わない。単に通信が問題ないか確認しているだけだ。しかも、プログラムが適用されるすべての艦に送信されているはずのものである。
  この回線の向こうにいるのは絳攸であって絳攸でない。そんな気が楸瑛はしている。だが、そこに浮かぶ文字を読むとき、しっかり脳内では絳攸の声で変換されるのが自分で可笑しかった。
「アロー、絳攸。問題ないよ」
  楸瑛が返すと、モニターには続いて簡潔に宙域のデータが送られてくる。主に飛行の邪魔になる宇宙塵の分布だ。それに関しては特に憂慮すべき点はない。何故なら邪魔になる前に絳攸の操作する護衛機が一掃してくれるから。
  そして最後に――楸瑛が撃墜すべき人類の敵の姿が其処にあった。
  思わずため息が出る。
「なぜこんなとこに」

 21世紀も終盤を迎えつつある現在。宇宙航行技術はこの100年で飛躍的な進歩を遂げたが、未だ人類は太陽系を出ることを叶えてはいない。それでも、惑星間の重力作用と磁場を利用した疑似ワープ航法などの発明により、長距離の有人飛行が可能になった。
  そして、出会ったのが宇宙生物である。
  ETだのエイリアンだの、世間は好きなように騒いだが、楸瑛が初めて目の当たりにしたとき思ったのは「化け物」だった。ヒトが初めて遭遇した時から、それは敵だったのだから。
  今回送られてきた映像の姿も、その呼び名に相応しいと楸瑛は思う。
  ――手足のない太った蛇のような胴に、ヒレとも触手ともつかない突起が伸びている。眼も鼻も見当たらない。そして――大きい。データには約120メートルとある。過去のデータに似たものはない。
「……ちょっと大きいよこれは。私たちではなくて、ノワ…重量級のお役目じゃない
の?」
  これでは接触しただけで致命傷になりかねない。的も大きいことであるし、レーザー砲を搭載した大型艦による長距離からの攻撃が常套戦術であるはずだった。
  モニターは律義に返答を寄越す。

『本日は地球から近いため、派手な戦闘は自粛することが司令部の意向として決定済み』

「ああそう」
  マスコミ対策ね。無機質な文字の羅列に、楸瑛は力なく頷く。

『無駄弾も極力控えること』

「りょーかい」

『……離陸前の重要確認事項だぞ?』

「!」
  突然、メッセージが音声に切り替わって絳攸の声と口調になる(とはいえ声は合成のはずである。いま彼はそれどころではないはずなのだから)。
  しかし、彼がこのように応対してくれることは通常戦闘においては殆どないことだ。楸瑛は少し嬉しくなって軽口で返した。
「しょうがないじゃないか。緊急招集だったんだもの。これでも、出撃時刻までに折角の女性とのデートを切り上げるので苦労したんだよ」

『……お前、今日非番じゃないだろ』

「ふふふ。研究所のデートスポットとしてのポテンシャルを今検証中なんだ」

『……。ちなみにこの会話は全艦および管制室に筒抜けだ』

「うそ!?」

『嘘』

 ひどいなあ、と言いながら楸瑛は一人で笑う。回線の向こうの彼も笑っている気がした。緊張感に欠ける気がしたが、楸瑛的にはいつも通りだ。

『――じゃあ、今回わざわざ足をお運び頂いたレディのお相手もよろしく頼むぞ。――絶対に月に近づけさせるな』

「どこがレディ?」
  彼にしては軽薄な冗談に、楸瑛は眉を顰めたが無視された。

『幸いなことに今のところ確認されているのは三体だけだ。目的は不明だがこんなに地球の近くで発見されたのは初めてのことだから、連れて帰ることは考えず、必ず仕留めること。いざとなったら<彩雲>の待機部隊も動員するが、その前にお前と俺で何とかしよう。今日は省エネがテーマらしいからな。――やつらとの待ち合わせは6分後を予定している。“エサ”は散布済み。何か質問は?』

 しかしちゃんと情報を教えてくれるのが絳攸らしい。
「ありません。サー」

『では、これから俺は“落ちる”から。“戻って”くるまでに全てが終わっていること期待する』

「力を尽すよ。――じゃあ、よろしく」
  そしてコックピットには再び静寂がおりる。次に聴く絳攸の言葉は、今の会話とは全く違った無機質なものとなるだろう。
  一人用のシート。礫のような地球。機体の外は真空。如何に隊を組めど、<Azure>に乗る楸瑛は宇宙ではひとりだった。

――でも、独りじゃない。
  彼の後ろには<Vision>統制下の無人機が一機付いている。彼自身も<Az-1>の状態も全て把握されているはずで、何かあれば必ずリアクションが反ってくる。しかも、楸瑛に限定して言えば、それだけではない――。
  また、通信を報せる音がした。宙域図が沈黙を破り、敵味方の予想進路をはじき出してゆく。

『ターゲット三体ともにトラップエリアを通過。被爆確認。各機、出撃準備』

「了解」
  首に掛けていた酸素マスク装着し、操縦桿を握る。

 

『Ready――

 

 


つづく

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