彩雲国国主、紫劉輝が紅邵可のもとを自ら訪れることはそう珍しいことではない。何か相談があるとき、お茶を飲みたいとき、勿論、何か調べ物があるとき。彼は何を頓着することも無く自分の足で府庫まで赴き、その扉を叩いた。
しかし、今日は室に入った途端にいつもと違う様子に首を傾げた。
「・・・酒の匂いがする」
くんくんと室内を嗅ぐ国王に府庫の主である邵可は常と同じように穏やかに微笑んだ。
「先程まで来客がありましたので」
「管尚書か?」
「いえ、違いますよ」
「邵可も呑んだのか?」
「いいえ、私は隣で仕事をしておりました」
劉輝はますます首を捻った。
「本当に客か?」
「そうですね。押しかけと言ってもいいかも知れません。勝手にやって来て、勝手に呑んで、勝手に帰って行きました」
飲酒者で押しかけ。いかにも怪しいが、特に邵可に困った様子は見受けられない。
しかし、やんわりとその客の名前を出すことを避けているような邵可の態度は気になった。
「どんな人物だ」
邵可は笑みを崩さずに言った。
「そうですね・・・・・・例えれば、子供がお嫁に行ってしまってさみしい父親、っていうのが近いかもしれませんね」
そして、劉輝は府庫を出た先の回廊でひとつの背中を見つける。陽は傾きかけていたが、その深紅は非常に目立った。
「――そこに居るのは万年職務怠慢既にクビ寸前吏部長官どのではないか」
ちらりと振り返った顔から、表情は読めなかった。
「・・・・・・随分と口が汚くなりましたな」
ふふん、と国王は胸を張る。
「余の側近の絳攸は、政に関しては師でもあるからな。感染って当然だ」
得意顔の劉輝から、紅黎深はフイと顔を逸らした。辺りに人の姿は見えず、沈黙が降りた。
――正直なところ、劉輝はあくまで無表情の黎深に対して、苦い思いを抱かずにはいられなかった。
もし、彼が少しでも仕事をしていたら、絳攸と自分はこんな遠回りをしなくて済んだかもかもしれないと。
済んでしまったことは仕様が無いし、それはすべて劉輝の過ちの所為であるのかもしれない。だが。
劉輝は絳攸の、あの痩せ細った腕を思い出す。
「紅尚書」
沈黙を破ったのは劉輝から。
「なんですか」
黎深は遠くを見つめたまま動かない。ただ掌で扇を持て遊んでいる。
劉輝は、軽く息を吸って、言った。
「絳攸は余がもらうぞ」
劉輝はなかなか、意気を込めて言ったのだが、黎深は特に気にも留めない様子でフン、と鼻を鳴らした。
「勝手に言ってなさい。あれの人生はあれが決めます」
「絳攸は余を選んでくれた。後悔されないよう、努力するつもりだ」
ぱちんと黎深の手の中で扇が鳴る。そして、しばしの時が流れて。
「…・・・あれは、いつ捨てられてもいいと思っていたようだが、」
脈絡無く話題を変えたような黎深に劉輝は目を瞬かせた。
「真実、居場所を失えば路頭に迷うだろう・・・・・・あれが自分の足で行ける処など、そう在りはしない」
「紅尚書……?」
「・・・・・・つまらないことを言いました。では御前失礼」
そうして、黎深は踵を返した。――仄かに酒精を振りまきながら。
「紅黎深!」
劉輝はその去りゆく背中に声を投げた。黎深は振り向かず、歩みも止めない。
「むかし、余は言ったな!そなたのことも結構好きだと。今度は二人で酒を呑もう。紅家当主としてでもいいし、そなた個人としてでもいい!」
紅の背は何も応えない。
「酒は、ひとりで呑むよりも二人で呑むほうが美味しい。そのことを教えてくれたのは絳攸だ」
「感謝している。絳攸と秀麗が官吏としてこの国にあるのは、そなたのおかげだ」
黎深は立ち止まった。振り向かないままだったが、溜め息をしたのが劉輝にはわかった。
「私のほうは貴方に興味はありませんが・・・・・次に公の場で貴方にまみえるとしたら、紅家当主としてでしょう。それまで王であるつもりなら、せいぜいお頑張りなさい」
そうして、黎深は影の濃くなり始めた回廊の向こうへと姿を消した。
新刊が出たら、引っ込めるかもしれません。
リカには二つの意味を持たせています。離歌と・・・